ルール違反?マナー違反?線引きはどこ?
タイトルの通りです。
それぞれの事例に対して線引きしていこうと思います。
1.ノータイム指し
ルール違反:ではない。
マナー違反:ではない。(人によってはマナー違反かも?)
個人的な感情:局面によってするけど、
されると思うところがある。(我儘)
2.終局即去り
ルール違反:ではない。
マナー違反:ではない。(81のどこかに書いてあったような…)
個人的な感情:勝っても負けても感想戦したい派なので、
少し思うところはある。
3.右手で指して左手で時計を押す。
ルール違反:です。
マナー違反:-
個人的な感情:結構います。
4.駒音高く叩きつける。
ルール違反:ではない。
マナー違反:程度による。
個人的な感情:勝負手とか、『どや』って時はしてしまう。
5.独り言をぼやく。
ルール違反:ではない。
マナー違反:です。
個人的な感情:対話は盤面でしましょう。
6.暴言を吐く。
ルール違反:です。
マナー違反:-
個人的な感情:相手に気分が悪くなるようなことは言わない。
7.持ち駒を駒台に『綺麗に』並べない。
ルール違反:見えていれば、ではない。
マナー違反:です。
個人的な感情:綺麗に並べてください。
異論反論も歓迎です。
他にもあると思うのでいろんな意見お待ちしています。
返信が無さそうなのでこの件に関してはここで締めたいと思います。
囲碁と将棋では囲碁の方が歴史が古いので囲碁の言葉が将棋に使われることはそれほど不思議ではありません。
このスレが『将棋の歴史について考える』であれば『へぇ~勉強になるな』で終わりでした。
>羽生:「棋は対話なり」という言葉があるんですけど、----
そうですか 羽生さんがね
から始まりあきらかに将棋に対する侮蔑が含まれていたので、
スレ主である私が反撃させて頂きました。
将棋界の第一人者である羽生先生が侮蔑されて黙っている私ではありません。将棋民が全員で反撃しないといけないレベルの内容に私しか反撃しないのは少し寂しいですが…。(もっと声をあげるべきです)
(羽生先生は気さくな方なので、笑って許してしまうと思いますが、
我々の神輿に泥を塗られているのに周りの人間は反撃すべきです。
羽生先生にいつまでも気さくな先生でいて頂く為に!)
基本的には囲碁は囲碁。将棋は将棋。競技としては親戚関係にあるものです。お互いが尊重しあうべきです。
(私のレスに囲碁を侮蔑する言葉は含まれておりません)
強い言葉が続き、不快に感じた方、誠に申し訳ありませんでした。
以上です。ありがとうございました。
参考コピペ
「棋」と異体字の「棊」は「木」+「其」という構成になっていますが、「其」は四角い形を表す象形文字で、音読みは「き」「ぎ」「ご」です。そのため「棋」だけではなく「石」と組み合わせた「碁」も読みは同じです。
意味としては「棋」は木製の四角い盤を使った遊び、「碁」は石と四角い盤を使った遊びとなります。ですから「碁」では将棋を意味しませんが「棋」は将棋と囲碁の両方を表します。
もともと漢字も囲碁も古代中国の発祥ですが、将棋やチェスとルーツを同じくする象棋(シャンチー)は中国からすれば外来文化をベースとしたゲームであり、時代的にも囲碁のほうが古いです。日本でも江戸時代は将棋以外に象戯などとも表記されてましたので、「棋」から将棋を優先して連想するのは、歴史的にはわりと最近とも言えます。なお、「象」は動物の象ではなく象形文字や森羅万象の「象」のほうで「象る」(かたど・る)を意味します。
私の認識は正にこれです。
ちなみに『棋は対話なり』で検索すると、将棋の話はでてきますが、
囲碁の情報はでてきません。
これが一般的な現在の認識かと思われます。
kasai様 返信ありがとうございます。
『棋は対話なり』は囲碁が出自かもしれません。
私は勉強していないのであなたが言っていることが事実かどうかは分かりません。ただ一方ではそういう論もあるという事実は認識しました。
私の見識が広がりましたのでそこは素直に感謝を述べさせて頂きたいと思います。
ただ現在では『棋=将棋』として認識されているようです。
これもご存じの事と思います。
さてこのスレの題名をもう一度ご覧ください。
ルール。そしてマナー『礼儀』について論じるスレです。
『将棋の掲示板』で『それは元々囲碁の言葉だ』と切り込んでくるのは
マナーとして礼儀としてどういう事とお考えをお持ちですか?
ぜひ聞かせて頂きたいです。
将棋の歴史にご興味がおありであれば、下記をご参考ください。
-ものと人間の文化史- / 増川宏一 著
法政大学出版局
「将棋」 (1977年刊)
「将棋 Ⅱ」 (1985年刊)
返信ありがとうございます
>羽生:「棋は対話なり」という言葉があるんですけど、----
そうですか 羽生さんがね
碁(ご)には「手談」という異称(異名)が有ります。
「言葉を交わさなくとも碁を一局打てば心が通じ合うという意味」とあります。
また「浮世を離れし手談のわざ」と浄瑠璃にもあるようです
将棋は何と言う異称があるのか知りたいです。
・「将棋の駒はなぜ40枚か」増川宏一著2000.2.22第1刷が、
私に将棋の歴史を教えてくれます参考書です。
・古くから中国では、君子のたしなみとして「琴棋書画」を教えたそうです。
琴(音楽)、棋(碁)、書、画(絵)と説明されています。
歴史的にみて「棋(ご)」は碁を指すことが明記されています。
碁の本拠地は市谷の日本「棋」院であり、棋は「ご」とも読みます。
将棋のプロ棋士が「棋(ご)」を何時頃から単独で使うように成っ
たのか興味があります。
碁の初段免状の文です(井山7冠が2回目を達成した記念免状を取得しました)
「貴殿棋道執心修行 無懈怠手段漸進依 之初段令免許畢猶 以勉勵上達之心掛 可為肝要者也仍而 免状如件」
「棋道」(ごの道)を使っています。
一方、将棋の初段免状を調べますと
「夙ニ将棋ニ 丹念ニシテ 研鑚怠ラス 進歩顕著ナルヲ認メ 茲ニ初段ヲ允許ス」
「将棋」2字であり、「棋」単独では使用していないようです。
※因みに、言葉の用法は時代により変りますので、驚くことでは無いです。
raidensiratsuyu様 返信ありがとうございます。
ご意見参考にさせて頂きます。
「相手・自身の手番を問わず、不用意に盤・駒・駒台に触れる」
これは初めて聞きました。
色々ありますね。
ありがとうございました。
ryuk666999 さんへ
1.ノータイム指し
ルール・マナー違反とは別物と考えます。
限られた時間の中で指すわけですから、どう時間を消費するかは
対局者の自由です。
※将棋は「精神のスポーツ」ともいえます(精神疲労・体力疲労を
伴いやすい)。対戦相手の精神を揺さぶることも勝負術の1つです。
2.終局即去り
感想戦をするかしないかは自由です(できるかぎり感想戦を行うよう
推奨されていますが)。
ただし、対局前後の挨拶(ボタン押し)は徹底していただきたいもの
ですね。
3.右手で指して左手で時計を押す。
ルール・マナーというより、「決まり(決め)事」と捉えた方が
良いかもしれません。
ついつい同じ手でやってしまう方も多々いらっしゃいますが、対局
時計を使用しての勝負の際は事前に対局者どうしで「反則か有効か」
話し合っておけば、無用なトラブルは避けられますよね。
4.駒音高く叩きつける。
頻繁にするのでは問題ありですが、ここぞの時にするのは効果がある
かもしれませんね。
加藤一二三先生が対局で駒を割ってしまったのは有名な話ですが、
駒を落としてしまったりするのも良く見かけますね。
下の駒に指す駒を当てて音を鳴らしたりするのも、気になさる方も
いらっしゃるでしょうね、おそらく…。
ちなみに駒を落として時間内に着手が間に合わない場合は、
「66歩…などと口頭で言う」「ここに銀…などと指でマス目を指さす」
も有効となっています。まあ、しないように心掛けるのが第一ですが。
5.独り言をぼやく。
どう楽しむかと、人間性の問題でしょう。
「縁台将棋風に和気あいあいとやりましょう」と決めているなら、
問題もありませんが、ネット対局の場合は不用意なチャットは慎むよう
心掛けていただきたいものですね。
対面将棋で不用意ににらみつけるのも、過度は控えていただきたい
ものですよね…。
6.暴言を吐く。
これも人間性の問題ですが、将棋に限らず「人として問題」ですね。
どうしても治らないようなら、ご退出いただくしかないでしょうね。
7.持ち駒を駒台に『綺麗に』並べない。
プロ先生の対局でもよく見かけますが、表向きで駒台にのせてある
のであれば、まあ致し方ないところでしょうかね。
(将棋のプロであるならば慎むよう徹底していただきたいものですが)
ちなみに駒台に並べ直すのも「自身の手番中」が原則です。
[追伸]
上記にはありませんでしたが、プロ先生の対局でもよく見かける
「相手・自身の手番を問わず、不用意に盤・駒・駒台に触れる」のも
非常に気になるところではありますね(苦笑)。
「投了の意思表示」とも捉えられ兼ねませんので、これもできるだけ
慎んでいただきたいものですね。
kasai様 返信ありがとうございます。
羽生:「棋は対話なり」という言葉があるんですけど、相手の人の性格や考え方が、たくさん対局していくとわかってきますね。こういうことはしないとか、こういうやり方が好きなんだ、とか。
上記は引用ですが、羽生先生も使っている言葉です。
棋とは将棋盤・碁盤の双方を表しており、どちらで使っても間違いではありませんよ。
nabla8様 返信ありがとうございます。
>投了と「取る」「捕獲」「詰み」は異なります。
投了は、指し続けても勝ち目が無いとの自己判断で敗北を相手に示す行為です。(連盟道場には、実際は詰み筋が有っても「投了優先」と記して有るようです)
はい。その通りです。私もそう思います。
他にも投了という言葉を使う競技があるのですね。勉強になりました。
ただ海外の競技は日本語訳されるときに『投了』となっただけではないかと想像しますが、今回は論点が外れるので割愛します。
>投了は、美徳ですか?
投了は自分の負けを認める行為です。日本人らしさが表れている美しい言葉だと思います。
>詰むまで指すのは美徳でないと、いう事でしょうか。
もう一度書きます。投了は自分の負けを認める行為です。日本人らしさが表れている美しい言葉だと思います。
そうでないなら美しくないとは私は一言も言っておりません。
但し日本人的考え方では美しくないと表現されると思います。
(日本人的考え方では口に出さないものですが、聞かれたので一応返答しておきます。返答する私は美しくないですね(失笑)
この辺は『日本人のなんたるか』という所からの話になるので、やめませんか?いろいろな意見があって良いと思います。新しい日本人という考え方があっても良いし、私はそれを否定するつもりはありません。
私の考えを押しつけるつもりもありません。
私の思いはこうだと述べているだけです。
取捨選択するのは読者の自由です。
>上手は、投了せずに詰まされて負ける様に心がけています。
素晴らしい事だと思います。私も同じです。美しいと思います。
>・王様を取られて呆然としている子供の気持ちを考えたら王を取るのはマナー違反と指導すべきです。
マナーの話ですか?ルールの話ですか?論点が色々なのでちょっと混乱しますが、マナーとしてはそうあるべきです。
ルールとしては王様を取る前に王手放置の反則が優先され、投了ではありません。
※一般的に囲碁は高尚、将棋は下品と評されます。中品から上品くらいに上げたいとの思いがあります。
ぜひ頑張って頂きたいです。
(一般的にはそう言われますが、その一般とは将棋村の一般。囲碁村の一般です。どちらも関係ない一般人はどうも思っていないようです)
(私は囲碁は囲碁。将棋は将棋。と思っています。サッカーとフットボールがどっちが上かと争っているのと同じです。)
興味をもって読ませて頂きました。ありがとうございました。