これはマナー違反?
先ほどの対局にて。
局面は相手勝勢。
受けてもジリ貧なので、相手が気づかない事を祈って、
長手数の詰めろをかける。(と言っても11手くらいかな?)
相手は詰めろに気づかず、こちら玉を寄せに来る。
そこで一手空きました。
すかさず王手の連打をノータイム指し。(ソフト風。読み切ってる風)
相手は自玉の詰みに気づき、詰む前に投了しました。
自分は対局が終わると棋譜をコピーしてソフトで棋譜解析して、
一人感想戦を行います。(granpas3 YO488 shogiGUI 7.14)
そこで気づきました。
(グラフが相手の方に振り切ってる…)
実は詰めろのつもりが詰まない順があり、
ソフトは相手の勝ちと言っていました。
相手も逃れる順に気づかず、詰みと錯覚したみたいです。
(投了が敗着となってしまいました)
(恐らく低段では結構あると思います)
ここで思いました。
最後のノータイム指しってマナー違反だったんじゃないかなって?
(ちなみに時間はお互いに3分以上残っていたと思います。)
本当に詰んでいたら何も思わなかったのですが、
実は詰んでいなかったところが、自分的に少し引っ掛かりました。
1.本当に詰んでいたらマナー違反ではない。
2.詰みの有無にかかわらずノータイム指しはマナー違反だ。
3.その他
皆さんの意見を聞かせてください。
またこれに似たマナー違反のグレーゾーン事例を教えてください。
宜しくお願い致します。
ryuk666999様
ご共感いただけましたようで有難うございます。
何度も読み返していただいたようで書き甲斐があります。
早指しと言えば糸谷哲郎八段という突っ込みは少し期待しておりましたw
文章の内容に合わせかつ自然に話を進めるために、二冠の両先生のみを喩えとして書かせていただきました。
実は当方、中学三年生でありまして、高校入試を間近に控えております。そんななか、こちらのトピックを読み、この題材、入試前の作文の練習にピッタリだな、と思いまして、意見文として先の投稿を致しました。
勝手に練習用題材に使用してしまいすみませんw
先の投稿を読み直し、まだまだ伝えたい内容を簡潔にかつ深い内容まで読み手に伝えるという技術を持ち合わせていないと力不足を実感しましたが、目標とするレベルに達せられるよう努力したいと思います。それでも私が伝えたかったものは書き表せているとは思います。ちなみに、私は国語作文は苦手にしており、将来の目標は文章関係の仕事とは無縁です。悪しからず。
またなにか機会がありましたら、宜しくお願いします。
それでは失礼致します。
Oshiruko78
Oshiruko78様 返信ありがとうございます。
何度も読み返させて頂きました。
私の考えと一番近いように思いました。
ただ早指しと言えば、元龍王の糸〇先生でしょ!って心の中で突っ込みを入れさせて頂きました。(笑)
長文なので読み応えがありました。(文章関係のお仕事をされているのかな?)意味を取り違えないように大切に読ませて頂きました。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
nyoro様 返信ありがとうございます。
バランス的な意見ですね。
多分比率でいうと一番多い意見かと思います。
ご参加ありがとうございました。
Trees6様 返信ありがとうございます。
興味深く拝見させて頂きました。
もちろん『マナー違反だ』という意見が出てくることも想定していました。
将棋愛が素晴らしい方だなと伝わってきました。
私は『マナー違反だ』という答えも正解の一つと思っています。
(もちろん『マナー違反ではない』という答えも正解の一つです)
レスを見ていると意見が違う人はいても、誰も攻撃をしている人はいません。こういう考え方もありませんか?という議論をしているだけです。
答えが一通りでない場合は相手の意見に耳を傾けることが重要です。
もしかしたら新しい価値観が芽生えるかもしれません。
勉強になりました。ありがとうございました。
私の意見を申し上げたいと思います。
・投稿者様への質問に対する私の考え及び他の投稿に対する肯定・反論を含む意見文
私は、ノータイム指しがマナー違反だとは全く思いません。プロ棋戦では1分未満切り捨てで消費時間が加算されるものが多いので、少し間をとってから着手することが相手へ失礼がないとは思うのですが、我々アマチュアは当然ながら一秒単位で消費時間が加算されるので、余計な間のために時間を費やしたくないと考え、ノータイム指しをする方が多いのだと思います。私もよくノータイム指しを行います。
勝負所で時間を残したい人は多いのではないでしょうか。次にどう指すのかを既に決めている局面・読み筋通りの局面であれば、後の勝負所で時間を残すためにノータイム指しをするのは当然の結果だと思います。というより、勝負所でろくに考えもしないで悪手を指す方が相手へ失礼なのではないでしょうか?対局相手への敬意をもっていればこそ、後の勝負所へ時間を残すためにノータイム指しをするといった行為に繋がるのだと思います。(少なくとも私はそのように考えてノータイム指しをしています)
プロ棋士はノータイム指しはしないと仰られている方がおりますが、明らかに誤りです。豊島将之竜王・名人、永瀬拓矢叡王・王座といった実力者でもノータイム指しをよくされています。豊島二冠は序盤で時間を使われることはあまりありませんし、永瀬二冠も、叡王戦で手が交差するほどのノータイム指しを度々されています。このお二方以外でもノータイム指しをされている方は何名もおられ、勝負所で時間を残すためにノータイム指しをすることになんら問題はないと容易に想像がつきます。
苦しい局面で、相手が間違えそうな手を指したり、ノータイム指しをしたりして相手の思考を妨害し、逆転を誘うのは当然です。勿論、最善手と勝負手は全く違います。極論をいえば、勝負手とは悪手です。それの結果、相手が間違えたのであればこちらの勝負術が相手の棋力を上回ったのであり、十分実力です。
勝負手を指すのがマナー違反と仰られている方がおられますが、将棋という勝負を行っている以上、勝ちに拘らないのは、対局相手への敬意がなく、そちらのほうがマナー違反ではないでしょうか?
米長邦雄永世棋聖の著書『逆転のテクニック』によると、逆転を誘うためにノータイム指しをすることは、最後の手段にする、と書かれていますが、勝負術としては有効であるようです。反撃しても相手の攻めより遅い、妥当な受けが見当たらない、というときに開き直って相手に寄せに来させることも勝負術として有効であるようです。ただ、時間の使い方次第で相手に与える印象も変わるので、必ずしもノータイム指しが逆転を誘うことに有効であることはないようです。
少し話が逸れましたが続けます。
確かに、粘らずに投了することも一つの美学です。局面を難しくすることが困難であったり、局面がハッキリとしているのなら投了すべきというケースも十分考えられます。ただし、悪くなったら投了する、というのは相手へ強い信頼があるからこそできることだと思います。谷川浩司九段は、粘らずに投了することが多い棋士ですが、勿論それは対局相手がこのまま勝ちきれるであろうという強い信頼があるからこそ、粘ることがありません。(谷川九段本人がそう仰られていたと記憶しております)
貴方は対局相手にそこまで信頼をしていますか?一切粘らずに投了するのも対局相手からしたら非常に複雑な気持ちになります。(対局相手が終盤を非常に得意にされている方であったり、棋力の差が開いている時は除く)これに関しては人それぞれの考えなので、あまり深く追及したくないのですが、勝負に拘ることはマナー違反とは程遠い、と一旦締めくくりたいと思います。
拙い文章になってしまい、読んで下さった方に申し訳ないです。
私が最も申したいことは、『勝つために考えたり読んだりするための行為であればマナー違反ではない』ということです(私個人としては『相手への敬意を忘れず』という文章を追加したいところではありますが・・・)。その為に、考える必要のなさそうなところで時間を短縮するためにノータイム指しをすることは問題ないと思いますし、盤上においてあの手この手で勝負することは問題ないと思います。
勿論、対局中のチャット、盤面上や時間以外の場所での嫌がらせ、ルール違反は除いた上での話ではありますが。
長文失礼致しました。
Oshiruko78
piyohiko様ありがとうございます。誤解されたくないのでそれを
明確にしておくんだけど、私は40年前にこの遊びをやめています。
そう、升田さんは遊びとわかってやっていたんだけど、才能と努力で
名人になりました。もう二度と出ない棋士人間です。
ほんの一部の私の考え方を言うと、歴史というものがあって、
自然界にあって最初からあるものは何一つとしてない、地球も同じ
です。昔があるから今がある。スタート地点が違います。
「ノータイム指し」に関しては対局者が指した手を引き上げる間に次の手を指すか、1~2秒の間を空けて指すかで印象も違うと思います。
僕はどちらもノータイム指しと捉えていますが、もちろん後者の指し方の方が品もよく相手に対する礼節も感じます。
しかし前者の指し方がマナー違反に該当するのかは微妙だとも思っています。
将棋ソフトに関しては僕も思うところ多々あります。
昔はもっと強い将棋コンピューターがあればいいのに・・と思っていましたが今では白旗です。
ちなみに僕は将棋ソフトは入れていません。
おそらく「将棋道」のように指し続けて来られたTrees6さんの将棋会に対する懸念に、多少近しいような気持ちは僕にもありますが、将棋を楽しみつつも、一歩引いた目線で将棋会のなりゆきを生温かく見届けてみる・・という楽しみ方はいかがでしょう。
私は旧将棋会館、そう千駄ヶ谷の木造2階建てで関東大学リーグ戦に
参加したことのある年寄りです。当時会長の大山康晴氏署名の有段の
免状を同期の者の伝手でただで貰ったんだけど、後に価値なしと
判断して捨てました。もちろんすべて対面でみんなやっていました。
それでノウタイム指しをされた経験が1度もありません。相手は目の前にいます。もしもそれをされたらケンカになります。皆、ちゃんと考えて対戦していました。それが将棋です。プロでそういう
ことをする棋士はいません。学生名人、昔ですがたくさん知って
います。後にアマ名人戦に県代表で出場した正式五段の仲間も
います。ネット将棋のずっと前です。ソフトなんかない時代です。
私はソフトに興味がありません。終わりですよ。ネット将棋で
数えきれないほどの仕打ちを受けていますが何も言えません。
連盟職員だった同期もいました。私は経験から自分の美学では
なく哲学を有していてそれは結論が出ています。将棋じゃないです。もっと大事なものがあります。が、それはだれにも理解され
ないですし、されたいとも思いません。攻撃されるだけです。
Trees6さん、文面を読んで申し上げたい事はいくつかありますが、端的にちょっとだだけ・・
美学、立派だと思いますが、将棋の楽しみ方はそれぞれいろんな角度があっていいと思います。
そして将棋の対局は勝負が前提ですから、対局者に勝ちたいと盤面や時間でせかすのさえ、相手に対し全力→敬意と捉えられるとも思いますよ。
ネット将棋で相手がわからないからありというのは誤りです。
将棋盤で対面でそういうことをしたり、されたらどうなるかを
考えれば自ずと答えは出ます。相手のこと、周りのことを考えるの
が普通です。勝てばいいとかではないと思います。客観性が必要
なのですが、人は主観なので限界があります。この件については
ネット将棋の欠点ということで終わりにします。